元バスケ少女の挑戦「たくさん迷って経験したから、一番なりたい自分が見つかった」

引用元:THE DIGEST
元バスケ少女の挑戦「たくさん迷って経験したから、一番なりたい自分が見つかった」

高校を卒業して多くの仕事を経験してきた。

転機が訪れたのは25歳のとき。母の勧めもあり競輪選手を目指すことに。

厳しさを覚悟し、ラストチャンスと腹をくくり、いま養成所でひと回りも歳の違う候補生と一緒に夢を追う。

長く、強く、なりたかった自分で輝くために。

――バンクでの練習では「お願いします!」の声が一番響いていました。

「ありがとうございます! バスケットボールをやっていた時も応援とか声掛けとかは率先してやっていましたし、当時の監督から『声を出せ』と言われていたので。自分では大きいと思ってなかったんですけど、友達から大きいと言われて。最初は喜んでいいのか微妙でしたが、自分のこの声で周りが明るくなるのは嬉しいなって」

――バスケを始めたのは?

「小学校3年生のときです。愛知県半田市にある亀崎小学校で活動するアルカダシというミニバスのチームです。チーム名の由来は、トルコ語で『友達』だったと思います」

――どんな選手でしたか?

「ひたすら走っていましたね(笑)。ポジションはセンターで、ジャンプ力があったのでリバウンドを取るのが役目。とにかくボールに触りたい子供でした。そこまで強くなくて、大会で勝てたらいいなというレベルだったので、みんなで楽しくやっていた感じです」

――亀崎中の部活で続けたのですか?

「そうです。知多半島では一番強い学校でしたが、県大会では1回戦負け。当時は南陽中、若水中、藤浪中が三強で、そこを倒すために頑張っていました」

――高校時代は?

「吹奏楽部に入りました。なので、スポーツは中学校までなんです。桜花学園高のような強いチームに進めたら続けたかったんですけど。当時は『けいおん!』が流行っていて、ガールズバンドに憧れがあったんです。担当はパーカッションでした」

――高校卒業後は?

「まずは美容師のアシスタントをしたんですが、手荒れがひどくて1年半で辞めました。その後フリーターで、20歳の時に郵便局の配達員になりました。あれです、カブに乗って配達先を回っている。郵便局に4年近くお世話になって、その後Dr.ストレッチでストレッチトレーナーになりました。それが2年弱ですかね」

――かなり幅広いですね。

「そうなんです。興味の赴くまま。郵便局に関しては母の『やってみたら』という一言がきっかけで、ストレッチトレーナーは人の役に立つ仕事がしたいと思って始めました」

――地元で働いていたのですか?

「愛知県の形はカニとか羊とか言われるんですが、カニなら右脚、羊なら前脚の付け根にあるのが半田市で、そこで仕事をしていました。それで、Dr.ストレッチで働いている途中で競輪選手になりたいという気持ちが出てきたので……」

――そこを詳しく聞きたいです。どうして競輪が出てきました?

「あははは。そうですよね。いろいろ細かい部分がありますが、もともと足が太くて、20歳のときに母から『競輪選手でも目指したら』と言われたんです。母にすれば、身長が高い子はバスケやバレー、泳ぎが得意な子は水泳、足の太い子は競輪じゃないかって」

――ユニークなお母さんですね。

「はい(笑)。当時、趣味でロードバイクに乗っていたのも関係していたかもしれません。あとは、ガールズケイリンの広告が母の目に留まったようです。でも、自転車は趣味で十分で、そんな甘い世界じゃないとも思ったので、そのときは聞き流しました」

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