内戦で右脚を失い祖国を追われても、それでもスポーツがしたい-。壮絶な体験を乗り越えたパラリンピアンの不屈の精神と、目指す「次なる夢」とは

引用元:VICTORY
内戦で右脚を失い祖国を追われても、それでもスポーツがしたい-。壮絶な体験を乗り越えたパラリンピアンの不屈の精神と、目指す「次なる夢」とは

 昨夏の東京パラリンピックで難民選手団の一員として競泳男子に出場したシリア出身のイブラヒム・フセイン選手(33)が6月20日の「世界難民の日」に合わせて来日した。ちょうど同時期にパラ競泳の世界選手権がポルトガルで開催されていたが、「いち競泳選手ではなく、障害者難民の代表として、何万人もいる仲間の声を届けに来た」と言葉に力を込める。シリア内戦で右脚を失い、祖国を追われながらも不屈の精神でパラリンピアンになったフセイン選手が目指す次なる夢とは何なのか。

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 「死んでいるのか、生きているのか分からなかった」。当時23歳だった2012年、銃弾を浴びた友人を守るため、地面に体を投げ出した際、近くに落ちた砲弾に右脚を吹き飛ばされた。友人は助かったが、その代償は大きかった。治療と支援を求めて、戦時下のシリアから隣国のトルコへ避難。だが、そこで受け取った義足は100メートルも歩けば、ねじが外れるような代物だった。十分な量の抗生物質は処方されず、傷口は化膿するばかり。「生き残るための唯一の選択肢だった」と、14年に小型ボートに乗り込み、ギリシャのサモス島へ。命からがらたどり着くと、すぐさま難民キャンプに収容され、6カ月の滞在許可が下りた。その後、治療を受けるために首都アテネへ。支援者からの協力もあったが、「食べ物がなく、木の葉っぱや公園の草を食べてしのぐ生活を16日間続けた」という。

 壮絶な体験を乗り越えて、ついには専門医からの治療を受け、トイレ清掃員となって自立した生活を送れるまでになった。その時、わき出てきた思いが「スポーツをしたい」という感情だった。アジア王者にも輝いたことがある父親の影響で5歳から水泳を始めた。五輪を夢見て練習に明け暮れていたが、11年から始まった母国の内戦で競技を続けることを断念した。右脚の膝から下も失った。だが、スポーツがしたい衝動は抑えきれなかった。自身を迎え入れてくれるスポーツクラブを回ると、ある車いすバスケットボールチームが参加を認めてくれた。競泳の練習も20以上のクラブに断られながら許可を取り付けた。スポーツを楽しめる生活を得たことで暮らしは大きく変わった。フセイン選手はスポーツの力について「最初ギリシャ語はしゃべれなかった。異なる文化にも苦しんだ。でもそれら全てがスポーツを通じて解決した。スポーツが私を社会に溶け込ませてくれた」と語る。

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