パリ五輪の星、ブレイクダンサー半井重幸さんが描く未来

引用元:産経新聞
パリ五輪の星、ブレイクダンサー半井重幸さんが描く未来

2024年のパリ五輪で初めて実施されるブレイクダンスは、日本勢の躍進が期待される新競技だ。中でも有力な金メダル候補として注目されているのが、「Shigekix(シゲキックス)」のダンサーネームを持つ日本王者の半井重幸さん(20)。「ストリートダンスの聖地」とされるOCAT(大阪シティエアターミナル=大阪市浪速区)地下1階のポンテ広場で磨かれたミュージカリティー(音楽性)豊かなダンスを武器に、約50の国際大会で優勝した実力者である。「唯一無二の存在になる」を目標に掲げ、世界で戦っている。

■ブレイクダンスの原点となったポンテ広場

「ブレイキン」とも呼ばれるブレイクダンスの起源は、1970年代の米ニューヨーク。ギャングが抗争の解決手段としてストリートでのダンス対決を用いたのが始まりとされる。そこから独特の文化やコミュニティーが育まれた。地面に背中や肩をつけて回る「パワームーブ」や軽快なステップが特徴で、ダンサーは「Bボーイ」「Bガール」とも称される。ディスクジョッキー(DJ)が流すヒップホップ調の音楽に即興で踊りを合わせ、1対1の対戦形式で争うのが基本的なスタイルだ。

「子供の頃は内向的で、言葉数が多くないタイプでした」という半井さんが4歳年上の姉の影響を受け、ポンテ広場でBボーイの仲間入りをしたのは7歳のとき。何をしてもいい自由度の高さに惹(ひ)かれ、次第にのめり込むようになった。

だが、広場に仲間が集まるのは午後9時ごろ。両親が送り迎えをしたり、付き添ったりして献身的に支えた。「僕が小さかったのもあります。ただ、僕が本気になっていることに関しては、一切否定的なことを言いませんでしたし、ずっとサポートしてくれました」と両親への感謝の言葉を口にした半井さんは「今も決して多くはないですが、ダンスだけで生活するのは難しい時代でした。大人のダンサーたちも普通にサラリーマンをしていて、仕事終わりに集まって踊るのが当たり前。だから始まるのが遅いんです。夜の9時から11時、12時ぐらいまで踊っていました。夜に練習する生活は、ダンスを始めたときから高校3年まで続きました」と振り返る。

高校卒業後は親元を離れて拠点を関東に移し、念願のプロ生活を始めた半井さんだが「僕の踊りは広場でつくられた」と言ってはばからない。開放感があり、壁面の鏡に映る姿を見ながら練習できる環境だけが理由ではない。「誰でも参加できるので、集まる人が毎日、違うんです。その日に誰かが持ってきた音楽をスピーカーで流し、みんなで練習する感じです。どれもブレイクビーツと呼ばれる音楽なんですが、人によって好みはバラバラ。僕はゲーム感覚で、それに合わせてアドリブで踊るのを自然にやっていました」と半井さん。その中で、自身が強みにしているミュージカリティーの技術が培われたという。

■触れてもらうきっかけさえあれば…

パリ五輪の新競技、ブレイクダンス(ブレイキン)の国際大会で優勝を重ね、圧倒的な強さを見せつける半井さんだが、挫折も味わった。2018年にブエノスアイレスで開かれたユース五輪で、まさかの銅メダル。痛感したのは、フィジカルを鍛える必要性だった。高校卒業後に生活の拠点を移した関東で練習内容を見直し、世界の頂点で戦える強靭(きょうじん)な肉体をつくり上げた。

軽快な音楽に合わせてダイナミックなダンスを披露していた体が、ピタッと静止する。半井さんが得意にしている「フリーズ」と呼ばれる技だ。アクロバティックな体勢でフリーズを決めるには、相当な筋力が要求される。可能にしたのは、強度の高いフィットネス運動を総合的に行う「クロスフィット」を取り入れたトレーニングのたまもの。半井さんは「フィジカルのレベルが総合的に上がりました。単に筋力だけじゃなく、持久力や瞬発力もです。筋力がつくと、動きの幅が広がります。このトレーニングを導入する前の自分の体では、できるイメージがつかなかった動きが、今はチャレンジできたり、習得できたりしています」と手応えを口にする。

現在、練習場所として主に使っているのは、クロスフィットと重量挙げを中心にしたジム。「そこにブレイキンも加えてもらい、3種類の競技が一つの場所で行えるようになっているんです。フィジカルトレーニングも取り組みやすくなり、練習内容も改善できました」と充実した環境に満足している。

昨年の東京五輪では、スケートボードやサーフィンといった新しい競技が脚光を浴びた。24年のパリ五輪でブレイキンも続けるか。成功の根拠として半井さんが強調するのは、これらの競技の根底に流れている文化や人と人とのつながりの部分だ。東京五輪のスケートボード女子パークで、大技に挑戦して失敗した日本人選手の周りに他の参加者が集まってたたえ合った姿を引き合いに「すごく新鮮だったし、もっと言えば、五輪がもともと求めている世界平和だったり、根本だったりを突いているので、注目されたと僕は思うんです。そこはブレイキンも共通しているところ。正直、ブレイキンをしている僕たちからすると、ああいう光景は当たり前。なぜ世の中で驚かれているのか、理解できないぐらい普通なんです。そういった意味でも、ブレイキンの魅力を多くの人に感じてもらえると思っています」と話す。

ただ、「唯一無二」を目指す半井さんにとって、パリ五輪はゴールではない。「ブレイキンはもともと五輪競技ではないので、五輪があろうがなかろうが、自分がやることは変わりません。悪い意味ではなく、いい意味で、関係ないというか…」と断った上で、こう力説した。「しかし、五輪は世界中の幅広い層の人にブレイキンに興味を持ってもらったり、知ってもらったりするきっかけには絶対になると思います。そういった機会はなかなかありません。与える影響力は普段とは違うと思うので、いい方向につなげていけたらいいですね。ブレイキンに触れれば、素晴らしさや面白さ、奥深さに引き込まれるはず。触れてもらうきっかけさえつくれれば、自然と盛り上がり、もっと人気になると思っています」。

■頭の中にあるのは「挑戦」の2文字

プロのブレイクダンサーとして活躍する半井さんは、小学生のころから海外の大会を飛び回る生活を送ってきた。最初は両親が付き添ったり、同じ大会に出場する大人に頼ったりもしていたが、中学生になってからは一人で世界を旅した。「いまだにびっくりされるんですが、13歳、14歳のころから、どこでも一人で行っていました」という半井さんの自立心を育む上で、英会話など、経験してきた多様な習い事が役に立った。優勝を重ねて感想やスピーチを求められる機会が増え、はきはきと答えられるようにもなったという。

「いろんなものに触れ、自分が『これだ』と思うもの、好きなものを探せというのが親の教育だと思います。泳げた方がいいというので、水泳も習いましたし、英会話も小学校に入ったぐらいから中学校3年まで続けました。ブレイキン(ブレイクダンス)に出合う前にはトランポリンもしていましたし…。(4歳年上の姉と)きょうだいで同じことをやることが多かったのですが、何か、自分が興味を持てるものに出合いに行く感じでした」

自身の幼少期をこう振り返った半井さんは「すべてが少なからず、何かしらプラスに働いています。英会話なんか、本当にそうですね」と笑う。絵を描くのも好きで、今も趣味として続けている。「物心ついたころから好きでした。結構、いろいろ描きますね。(描いているときに)考え事もできますし、落ち着きますし、心を無にもできます。自分と向き合うみたいな時間です」と説明する。

では、どんな家族なのか。「結構、仲いいっすね」と総括した半井さんは「お母さんはきょうだいみたいな感じです。尊敬していますし、頭は上がらないんですけど…。お父さんはずっと見守ってくれている感じ。いい意味で、いつまでもちっちゃかった頃の感覚で僕のことを見てくれている。(自身もダンスをしている)姉もこっち(関東)にいます。働いているので、お昼休みに会いに行き、会社の近くで一緒にご飯を食べたりだとか…。練習を一緒にすることもあります」。マウンテンバイクが好きな会社員の父親からは、山を自転車で走ったときの写真などが送られてくる。半井さんは「僕が世界で戦っていようが、どんな重圧と向き合っていようが、いい意味で関係ない。すごく日常的な会話をします」と打ち明ける。

最後に「すごくいろんなことを考えるクセがあります。哲学的なことに興味があるというか、気持ちが入りやすいというか…」と自己分析する半井さんに、20歳となった今年中に成し遂げたいことを聞いた。

「いっぱいあるんですよ。出場する大会で優勝するのは言うまでもない目標です。失っているわけではないのですが、始めた当時の感覚を思い出し、改めてブレイキンを好きになるというか…。やらなきゃいけないことや、見ないといけないものがたくさんありすぎ、ついついそれが見えにくくなっちゃうんです。根本にあるものを、今年一年を通して再確認したい。さらにブレイキンを好きになって、もっと知りたい。そういうピュアな気持ちを再確認したいと思っています」。半井さんの頭の中には、常に「挑戦」の2文字があるという。(編集委員 北川信行)

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